「お先に失礼します」と言うたびに、小さくなる
定時のチャイムが鳴る前から、もう気持ちは帰りの準備に向いています。それでも椅子を立つ瞬間、周りの視線が気になって、つい声が小さくなる。「お先に失礼します」。その一言を言うたびに、自分が職場の中で場所を奪っているような気がしてくる。
残っている人の仕事を増やしているんじゃないか。みんな大変なのに、自分だけ早く帰っている。頼まれた仕事も断らざるを得ないことが増えて、「あの人に頼むと面倒」と思われている気がする。そうやって、少しずつ自分を「使いにくい社員」だと決めつけてしまう。
私自身は時短勤務の経験はありません。けれど、7回職場を変わってきた中で、待遇や長時間労働に悩みながら働き続けるしんどさは、何度も味わってきました。この記事では、時短勤務の申し訳なさに、制度と数字の面から少しだけ光を当ててみます。あなたの申し訳なさが、どこまで「あなたのせい」で、どこから「仕組みの問題」なのかを整理するための記事です。
その申し訳なさは、あなた一人の感覚ではない
まず知っておいてほしいのは、時短勤務の大変さを実際に知っている人は、職場ではまだ少数派かもしれないということです。
厚生労働省の委託で日本能率協会総合研究所が行った「仕事と育児の両立等に関する実態把握のための調査研究事業」(令和4年度、労働者調査)によると、短時間勤務制度を「利用している」または「以前は利用していた」と答えた人の割合は、正社員の女性で51.2%、正社員の男性では7.6%でした(2023年11月の労働政策審議会の参考資料より)。
女性の正社員では半数ほどが使っている一方で、男性ではまだ1割にも届きません。職場全体で見れば、時短勤務の大変さを肌感覚で知っている人は、まだ多くないということです。悪意があって冷たくされているわけではなく、単純に「時短で働く側の事情」を知る機会がなかった人が周りに多い、という構造の問題でもあります。
もうひとつ、知っておきたい言葉があります。「マミートラック」という言葉です。アメリカで生まれた言葉で、出産や育児をきっかけに、本人の意欲や能力とは関係なく、責任の軽い業務に回されたり、昇進・昇格のルートから外れてしまったりする状態を指します。
あなたが感じている「戦力外にされている感じ」には、ちゃんと名前がついています。あなたの能力が足りないからではなく、時短という働き方そのものが、評価の仕組みの中で不利に扱われやすい、という構造上の問題である可能性もあるのです。
「使いにくい」と感じる背景には、業務量の調整不足がある
時短勤務のつらさの多くは、「時間は短くなったのに、仕事の量は減っていない」というところから来ています。
育児・介護休業法では、3歳未満の子を育てる労働者のために、事業主は1日の所定労働時間を原則6時間とする短時間勤務制度を設けることが義務付けられています(第23条)。2025年4月からは、業務の性質上どうしても短時間勤務が難しい場合の代替措置に、テレワークが加わりました。さらに2025年10月からは、3歳から小学校就学前の子を養育する労働者について、事業主は「柔軟な働き方を実現するための措置」(始業時刻等の変更、テレワーク、保育施設の設置運営、養育両立支援休暇の付与、短時間勤務制度のうち2つ以上)を用意することが義務付けられています。
ただ、法律が「時間を短くしてよい」と定めていても、「その時間に見合うよう業務量を調整すること」までは具体的に義務付けていません。だからこそ、現場では「時間だけ削られて、仕事量はフルタイムのまま」という状態が起きやすく、それがサービス残業や持ち帰り仕事、そして「申し訳なさ」につながっていきます。
ここは、あなたの頑張りが足りないからではなく、制度と現場の運用の間にあるすき間の問題だと知っておいてほしいところです。
残業や評価について、法律はこう定めている
ここからは少し硬い話になりますが、自分の立場を知るために大事なところです。断定はできませんが、原則として知っておくとよい内容を整理します。
残業について。育児・介護休業法第16条の8では、子を養育する労働者が請求した場合、事業主は所定労働時間を超える労働(残業)をさせてはならないと定めています。対象は、2025年4月から3歳未満の子から小学校就学前の子に広がりました。請求は原則として開始予定日の1か月前までに行い、事業の正常な運営を妨げる場合は会社が拒めるという例外もあります。
ただし、ここで大事なのは「請求した場合」という点です。時短勤務をしているからといって、自動的に残業が一切なくなるわけではありません。残業を免除してほしいときは、会社に対してその意思をはっきり伝えること、そしてそれが会社の制度上どう扱われているかを確認することが、まず必要になります。残業を命じること自体が一律に違法になるわけではなく、申し出に対して会社がどう対応するかが問題になる、という整理が実務上は一般的です(※個別の状況によって判断が分かれるため、気になる場合は労働局や弁護士への確認をおすすめします)。
評価や配置について。育児・介護休業法第23条の2では、時短勤務などの申出や利用を理由とした不利益な取扱いを禁止しています(残業免除の請求については第16条の10)。厚生労働省の指針では、解雇、契約の更新をしないこと、正社員からパートタイムへの契約変更の強要、降格、就業環境を害すること、減給や賞与での不利益な算定、昇進・昇格での不利益な評価、不利益な配置転換などが、不利益取扱いの具体例として挙げられています。
すべてのケースがこれに当たるとは言えませんし、「評価が少し下がった」ことと「不利益取扱い」の境目は個別の事情によって変わります。ただ、「時短だから当然」と自分を納得させてしまう前に、こうした法律があることを知っておくだけで、見え方が変わることがあります。
辞める前に、確かめておきたいこと
ここまでの法律や制度を踏まえて、限界を感じたときに一度立ち止まって確かめてほしいことを並べておきます。
残業免除の申し出をしているか。「断りづらい」と黙って残業を受け入れているなら、まずは申し出をしたうえでの会社の反応を見てみる価値があります。申し出た上での対応に問題があれば、それは会社側の課題として相談できる余地が生まれます。
育児時短就業給付金を使えているか。2025年4月に創設されたこの給付金は、2歳未満の子を育てるために時短勤務をしている人に対し、時短中の各月の賃金の10%相当額を雇用保険から支給する制度です。時短勤務を始める前の賃金と比べて、時短中の賃金が90%以下に下がっていれば賃金の10%、90%を超えて100%未満なら支給率が調整され、賃金が下がっていない場合は支給されません。雇用保険の加入期間などの条件もあり、支給限度額は毎年8月に見直されます。最新の条件や金額は、厚生労働省のホームページか、ハローワークで確認してください。注意点として、この給付金は2歳未満限定であり、3歳未満全体や3歳以降の時短勤務には適用されません。
保育園の点数への影響を、自治体窓口で確認しているか。「時短だと保育園に不利になる」という話を見聞きして不安になる方は多いですが、これは自治体によって扱いが大きく異なります。例えば、短縮後の勤務時間が1日6時間以上かつ就労日数を短縮していない場合に正規の就労時間とみなして指数を算定する自治体もあれば、雇用契約上の就業時間だけで計算し、時短による短縮は考慮しないとする自治体もあります。「時短だから不利」と決めつける前に、お住まいの市区町村の保育担当窓口に直接確認することを強くおすすめします。
2025年10月からの柔軟な働き方の選択肢を使い切っているか。3歳から小学校就学前の子を育てている場合、会社はテレワークや始業時刻の変更など複数の選択肢を用意することが義務になっています。時短勤務以外の選択肢の方が、あなたの状況に合うこともあります。一度、人事や上司に「どんな選択肢が用意されているか」を聞いてみる価値があります。
それでも限界なら。無理に続けなくていい
これらを確かめた上でも、「この会社では無理だ」と感じるなら、それはあなたの判断として尊重されるべきものです。選択肢はひとつではありません。
- 業務量の調整や異動を会社に相談し、現職で改善を図る
- フルタイム勤務に戻るタイミングを見直す
- 時短勤務を続けられる職場へ転職する
- 雇用形態を変えて働き方の負荷を下げる
- 一度、仕事から離れる
どれが正解ということはありません。あなたの生活と心身の状態に合うものを選ぶための材料として、知っておいてほしいだけです。
もし「今より時短勤務に理解のある会社に移りたい」と考えているなら、育児と両立しやすい求人を扱う転職エージェントを頼る方法もあります。
どうしても「辞めたい」と言えないときの選択肢
申し訳なさが強すぎて、上司に「辞めたい」と伝えること自体が怖い、という方もいると思います。その場合、退職代行という手段もあります。
ただし、退職代行には弁護士が運営しているもの、労働組合が運営しているもの、民間企業が運営しているものがあり、できることが違います。有給休暇の消化や退職日の調整など、会社との交渉が必要になる場面には、民間企業が運営するサービスは対応できません。利用を考えるなら、運営元が弁護士か労働組合かを確認してください。
よくある不安・Q&A
Q. 時短勤務中に残業を断ったら、評価が下がりそうで怖い。
育児・介護休業法では、残業免除の請求を理由とした不利益な評価や配置転換は禁止されています。ただ、実際にそれが「不利益取扱い」に当たるかどうかは、個別の事情によって判断が分かれます。評価に明らかな不自然さを感じる場合は、社内の相談窓口や、お住まいの労働局の総合労働相談コーナーに相談してみることをおすすめします。
Q. 時短だと保育園の点数が下がるって本当ですか。
自治体によって扱いが異なります。短縮後の勤務時間や就労日数の条件次第で、フルタイムと同等に扱われる自治体もあれば、実際の勤務時間で計算される自治体もあります。「時短だから不利」と一律に決めつけず、お住まいの市区町村の保育担当窓口に直接確認するのが確実です。
Q. 時短が終わったらフルタイムに戻れる自信がありません。辞めるしかないでしょうか。
いきなり結論を出さなくて大丈夫です。2025年10月からは、3歳から小学校就学前の子を育てる労働者に対して、時短以外の柔軟な働き方の選択肢(テレワークや始業時刻の変更など)を会社が用意することが義務になっています。フルタイム復帰以外の道があるかもしれません。まずは会社にどんな選択肢があるかを確認してから、必要であれば転職も含めて考えてみてください。
心身の負担が大きく、「もう何も考えられない」と感じているときは、まず休むことを選んでください。厚生労働省の「こころの耳電話相談」(0120-565-455。平日17時から22時、土日10時から16時。祝日、振替休日、年末年始を除く)など、無料で話せる窓口もあります。SNSやメールで相談できる窓口もあります。
まとめ
時短勤務で「使いにくい社員」だと感じてしまうのは、あなたの能力や頑張りが足りないからではありません。時間だけが短くなって業務量が調整されていないこと、評価の仕組みが時短勤務の実態に追いついていないこと、周りに時短勤務の大変さを知る人がまだ少ないこと。そうした構造が重なって、申し訳なさという形であなたにのしかかっているだけです。
今すぐ答えを出さなくて大丈夫です。残業免除の申し出をしているか、育児時短就業給付金を受け取れているか、保育園の点数の扱いを自治体にきちんと確認したか。会社が用意している柔軟な働き方の選択肢を使い切っているか。まずはそうした「使える制度」を一つずつ確かめていくだけで、見える景色は少し変わってくるはずです。
それでも「もう無理だ」と感じたなら、その感覚を軽く扱わないでください。異動を相談すること、フルタイムに戻るタイミングをずらすこと、時短に理解のある職場に移ること、一度仕事から離れること。どれを選んでも、それはあなたが弱いからではなく、あなたの生活と心身を守るための判断です。
「お先に失礼します」と言うたびに小さくなる必要は、本当はありません。その声を、少しずつでも胸を張って言える場所を、これから探していけばいい。それだけです。
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