「残業代は込みだから」と言われるたび、心がすり減っていませんか
求人票に書いてあった「固定残業代」や「みなし残業」という文字。入社した時は、それほど気にしていなかったかもしれません。でも働き始めてから、設定されている時間をとっくに超えて働いているのに、給料は毎月同じ。そのうち「これって、おかしいのでは」と思いながらも、声を上げられないまま日々が過ぎていく。そんな状態ではないでしょうか。
私は20代の頃、不動産会社と運送会社で働いていました。どちらの会社にも「残業代込み」の給料があり、不動産会社にはそもそもタイムカードがありませんでした。運送会社では、定時の7時と17時にタイムカードを押していましたが、実際は朝5時30分には出社して仕事をしていましたし、夕方も17時に打刻してからまた作業に戻る日がほとんどでした。押し忘れた日は、手書きで支店長の印をもらって帳尻を合わせていました。
当時の私は、そのことに特別な疑問を持っていませんでした。「そういうものだ」と思っていたんです。今振り返ると、それがどれだけ異常な状態だったか分かりますが、渦中にいる時は気づきにくいものです。この記事では、当時の私のように「なんとなくおかしいと思いながら受け入れてしまっている」人に向けて、みなし残業・固定残業代の仕組みと、辞めるかどうかを考えるための判断基準をまとめます。
そもそも「みなし残業」「固定残業代」とは何か
まず整理しておきたいのが、「みなし残業」という言葉の曖昧さです。実はこれ、法律上の正式な用語ではありません。一般的には「固定残業代制度」の通称として使われています。一定時間分の時間外労働・休日労働・深夜労働に対する割増賃金を、あらかじめ定額で支払う仕組みのことです。「月30時間分の残業代として5万円を含む」というような形が典型です。
ここで注意したいのが、厚生労働省の統計などで出てくる「みなし労働時間制」(事業場外みなし労働時間制や裁量労働制)とは、まったく別の制度だという点です。名前が似ているため混同されがちですが、固定残業代は「残業代の支払い方」の話であり、みなし労働時間制は「労働時間そのものの算定方法」の話です。この2つを混ぜて理解していると、自分の状況を正しく判断できなくなるので、まずここは切り分けておいてください。
固定残業代制度そのものは、正しく運用されていれば違法ではありません。問題になるのは、以下のようなケースです。
- 雇用契約書や求人票に、何時間分でいくらなのかが明記されていない
- 設定時間を超えて働いても、超過分が支払われていない
- 基本給が極端に低く抑えられ、固定残業代を含めないと最低賃金を下回る
- 設定されている残業時間そのものが、健康を損なうほど長い
なぜ「みなし残業」はブラック化しやすいのか
固定残業代は「あらかじめ決まった金額」を払う仕組みなので、会社側からすると人件費を計算しやすく、求人でも月給を高く見せやすいというメリットがあります。一方で、労働者側から見ると、実際の残業時間が設定時間を超えているかどうかに関心が向きにくくなるという副作用があります。私自身、まさにそうでした。毎月同じ金額が振り込まれていたので、「今月は何時間働いたから、いくら足りない」という発想自体が湧かなかったんです。
固定残業代をめぐっては、これまでいくつか重要な最高裁・高裁の判断が出ています。たとえば、最高裁は平成24年3月8日の判決(テックジャパン事件)で、通常の賃金部分と時間外の割増賃金部分とが区別できない契約について、固定残業代としての有効性を認めませんでした。また平成30年7月19日の最高裁判決(日本ケミカル事件)では、その手当が実際に残業の対価として支払われているかどうか(対価性)が判断の軸になると示されています。
さらに東京高裁の平成30年10月4日の判決(イクヌーザ事件)では、月80時間に近い時間外労働を恒常的に予定した固定残業代の定めについて、公序良俗に反するとして無効と判断されました。ただし、これは「月80時間を超えたら一律に無効になる」という単純な話ではありません。業種の特性なども踏まえて個別に判断されており、令和5年3月10日にも最高裁が、残業代の支払い方の仕組み全体を見て固定残業代としての支払いを認めない判決(熊本総合運輸事件)を出すなど、裁判所はこの制度を機械的には扱っていません。だからこそ、「自分の場合はどうなのか」を、思い込みではなく一つずつ確認していく姿勢が大切になります。
あなたの固定残業代、まず確認したいポイント
感情的に「もう無理」と思う前に、一度落ち着いて確認してほしいことがあります。チェックリストとして並べます。
- 雇用契約書や給与明細に、固定残業代の「時間数」と「金額」が明記されているか
- その時間数は、常識的な範囲か(月45時間を超える設定は、後で説明する時間外労働の原則の上限を超えるため、特に注意が必要です)
- 実際の労働時間が、設定時間を上回る月が続いていないか
- 上回った分について、追加の支払いがあるかどうか
- 固定残業代を差し引いた基本給だけで計算した場合、最低賃金を下回っていないか
簡単な検算方法もあります。「基礎賃金(時給換算)×1.25×残業時間」で本来支払われるべき割増賃金を計算し、実際に支給されている固定残業代の金額と比べてみてください。基礎賃金は、基本給を1か月の所定労働時間で割ることで概算できます(正確には一部の手当も含めて計算します。また、月60時間を超える部分の割増率は1.5倍です)。この計算が大きくずれている場合、それは「おかしい」と感じたあなたの感覚が正しかった、という一つの裏付けになります。
労働基準法に基づく時間外労働の上限(36協定)では、原則として月45時間・年360時間が限度とされています。労使で特別条項を結んだ場合でも、月100時間未満(休日労働含む)、年720時間以内、複数月平均80時間以内、月45時間を超えられるのは年6回までという上限があります。固定残業代の設定時間がこの水準に近い、あるいは実態がこれを超えているなら、それは単なる「残業が多い」という話ではなく、法律上の限度に触れている可能性がある話です。
そして、厚生労働省の労災認定の基準では、発症前1か月に100時間を超える時間外労働、または発症前2〜6か月の平均が月80時間を超える時間外労働がある場合、業務と健康被害との関連性が強いとされています。いわゆる過労死ラインです。もし今の働き方がこの水準に近いなら、残業代の話より先に、まず心身を休めることを優先してください。
超過分の残業代、請求できる可能性があります
固定残業代の設定時間を超えて働いた分については、別途、割増賃金を請求できる可能性があります。賃金を請求できる権利には時効があり、労働基準法の改正で、2020年4月1日以降に支払期日が到来した賃金については、当分の間は3年間とされています(本則では5年とされていますが、経過措置として当面は3年です)。退職してからでも、この期間内であれば請求を検討できます。
もう一つ知っておいてほしいのが、請求するにしても、何より「証拠」が物を言うということです。タイムカードや勤怠システムの記録はもちろん、会社のパソコンのログイン・ログオフの時刻、業務用のメールやチャットの送信時刻、交通系ICカードの履歴なども、実際の労働時間を裏付ける材料になります。私が運送会社にいた頃のように、タイムカードの打刻と実態がずれている場合は特に、打刻以外の記録を日頃から残しておくことが大切です。在職中にスマートフォンで出退勤の時刻をメモしておくだけでも、後から大きな助けになります。
会社に直接「超過分を払ってほしい」と伝えても、取り合ってもらえないことは珍しくありません。そういう場合は、一人で交渉を続けようとせず、お住まいの地域の労働基準監督署や、法テラス、労働組合の相談窓口など、第三者の力を借りることを検討してください。労働基準監督署は是正勧告という形で会社に働きかけてくれることがありますが、個別の未払い賃金の支払いまでを強制する権限は持っていません。回収まで見据えるなら、弁護士や、労働問題に詳しい労働組合に相談したほうが早いこともあります。
「辞める」と決める前に、自分に聞いてみてほしいこと
固定残業代のおかしさに気づいたからといって、すぐに辞めるべきだとは限りません。ただ、次のような状態が重なっているなら、それは「おかしい」という感覚を超えて、心身への影響が出始めているサインかもしれません。
- 先ほど挙げた過労死ラインに近い残業が、数か月続いている
- 眠れない、食欲がない、朝起き上がれないなど、体に変化が出ている
- 「給料のためだから」と自分に言い聞かせることに、疲れを感じ始めている
- 会社に改善を求めても、取り合ってもらえない、あるいは求めること自体が怖い
もし当てはまるものが多いなら、残業代を請求するかどうかより先に、まず心と体を休めることを優先してください。こころの耳(厚生労働省が設置している働く人のメンタルヘルス相談窓口)や、お近くの医療機関、総合労働相談コーナーなど、話を聞いてもらえる場所はあります。一人で抱え込まないでください。
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一方で、「請求はしたいけれど、辞めるかどうかはまだ決めかねている」という場合もあると思います。その場合は、今の職場に固定残業代以外の働きがいや人間関係があるかどうかも含めて、時間をかけて考えてもらって構いません。残業代の問題と、辞める・辞めないの判断は、必ずしも一致しなくていいんです。
どうしても「辞めたい」と言い出せない時は
固定残業代のおかしさに気づき、辞めると決めても、実際に上司に伝えるのが怖いという人は多いと思います。私自身、7回の転職を経験していますが、どの職場でも「辞めます」と口にする瞬間は、毎回足がすくみました。特に、残業代のことで会社ともめた経緯があると、「辞めると言ったら、さらに揉めるのでは」という不安が重なりやすくなります。
そういう時の選択肢として、退職代行というサービスがあります。ただし、退職代行は運営元によって、できることとできないことが大きく変わります。弁護士が運営しているものであれば、未払い残業代の請求交渉まで任せられる可能性がありますが、民間企業が運営している退職代行では、交渉行為そのものが法律上できません。退職の意思を伝える代行はできても、お金の話には踏み込めない、ということです。
労働組合が運営している退職代行であれば、団体交渉権に基づいて、ある程度の交渉ができるとされています。ただ、組合によって対応の幅が違い、未払い残業代を裁判で請求するような法的な手続きは弁護士にしかできません。「残業代の交渉までしてもらえるか」は、申し込む前に確認してください。
よくある不安・Q&A
Q. 固定残業代の時間を超えて働いていた証拠が手元にほとんどありません。それでも請求できますか。
証拠が少ないからといって、請求自体を諦める必要はありません。会社側が保管しているタイムカードの記録やパソコンのログなどを、後から開示させられる場合もあります。ただし交渉が難しくなりやすいのは事実なので、まずは弁護士や労働基準監督署など、専門の窓口に今ある手元の情報だけでも相談してみることをおすすめします。
Q. 固定残業代の請求をしたら、会社に嫌がらせをされたり、転職の時に不利になったりしませんか。
正当な権利の行使を理由に不利益な扱いをすることは、一般的には問題になり得ると考えられています。ただ、実際の職場の雰囲気によっては、関係がぎくしゃくすることもあり得ます。在職中に請求するか、退職してから請求するかは、自分の置かれている状況に応じて選んでよいところです。退職後であれば、時効の範囲内で落ち着いて検討できます。
Q. 固定残業代の設定自体をやめさせることはできますか。
制度そのものの変更を労働者個人が会社に求めるのは、現実的にはハードルが高いことが多いです。ただし、設定時間や金額の明記がない、実態と大きくずれているといった問題点を指摘することはできます。制度自体を変えるというより、「自分の分の未払いを請求する」「おかしいと感じたら次の職場選びで条件を見極める」という視点のほうが、現実的な対処につながりやすいかもしれません。
まとめ:まずは「おかしい」と思った自分を信じてください
固定残業代やみなし残業は、正しく運用されていれば違法ではない制度です。でも、設定時間や金額が曖昧なまま「残業代込みだから」という言葉だけで片づけられているなら、それはあなたの感覚のほうが正しい可能性があります。
今日からできることは、大きな決断でなくても構いません。給与明細を見返して固定残業代の時間数と金額を確認する、自分の実際の労働時間をメモし始める、といった小さな一歩で十分です。そのうえで、心身がすでに限界に近いと感じるなら、請求や交渉より先に、休むこと、誰かに相談することを選んでください。
私自身、当時は「そういうものだ」と受け入れていましたが、今振り返れば、声を上げてもよかった場面はいくつもありました。あなたが「おかしい」と気づいたその感覚を、どうか自分で否定しないでください。
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